髭のサロン INTERNET HIGE NO SALON

髭のプロフィール

調教師"髭"のSM半生記

■運命的な女■

 私にとって真弓という女は、決して大袈裟ではなく、恐らくこの先も生涯忘れ得ない女の一人であることはまちがいない。

 真弓との出会いは、大学の入学式のときだった。多勢の新入生の中にあって、私には彼女だけが光り輝いて見えた。後光が指すという言葉があるが、まさにそれだった。

 要するに一目惚れだったのである。とはいえ彼女がズバ抜けた美人だったわけではない。器量の点でいえば、十人並みをやや上回る程度だったろう。ただしプロポーションは素晴らしかった。

 所詮、一目惚れというのはそういうものだろう。必ずしも相手が非の打ちどころのない美人とは限らない。それでいて相手を見た瞬間、自分の中の女に対する美意識、さらには説明不可能な気持ちがスパークする−−−そういう瞬間とか出会いを普通、"電撃的"とか"運命的"などと称するのだが、このときの私の場合がまさにそうだった。

 だが、真弓との出会いは、ただ運命的というにはあまりにも運命的すぎた。あとになって振り返ってみると、その時私が真弓に感じた"光"は、その時点では、まだお互いに自覚しないまま内に秘めていた"もの"が発した、まるでテレパシーのようなものだったという気がしてならない。

 そして、やがて私はその"光"の正体を知ることになるのだが、その前に少しばかり少年時代のことに触れておこう。

 生まれは昭和二十四年。出生地は、関東でも内陸のほうで、周囲を山並みに囲まれた盆地にある古い地方都市だった。

 はたしてそういう風土的な影響は受けたのかどうか、また、持って生まれた性格であったのか小学生の頃からミステリー風の読み物に熱中していた。

 それも怪奇物が好きで、とりわけ乱歩や久作のファンだった。

 そしてクラブ雑誌などの怪奇小説を、意味の分からない言葉を辞書を引きながら、胸をワクワクさせて読み漁っていたものである。

 そういう意味では、精神的にはかなり早熟だったのかもしれない。

 当時、その種の小説には決まって一つのパターンがあった。最後には必ず悪が滅びる。つまり勧善懲悪のスタイルである。外国のミステリーでいえばシャーロック・ホームズよりアルセーヌ・ルパンのほうが好きだった少年の私は、そういう結末を読んで、たびたび思ったものだった。"悪のほうが栄えるものがあってもいいのではないか……"と。

 子供心にもそんなことを思う下地があったせいか、小学校六年のときに法律に興味を持ち、勉強しはじめる。もっとも小六の子供だから、勉強といっても『六法全書』を買い込んで、読みふける、その程度のものだが、それよりもその発想がナント「詐欺師になりたい」というのだったから我ながら驚く。

 中学二年のときだった。クラブ雑誌の中にショッキングな挿し絵を見つけ、その小説を夢中になって読んだ。

 いまとなっては一部のショッキングなシーンを除いて、あとは記憶も定かではないのだが、その時代小説は、確か家康と築山御前の間にできた子で、のちに信長から武田に通じたという疑いをかけられて切腹して果てる信康の残酷、狂気を描いた内容だったと思う。

 信康は身籠もった側室に不義密通の疑いを抱き逆さ吊りにして責め嬲るのである。そして最後には、大きく膨らんだ妊婦の腹を切り裂くのだ。挿し絵はそのシーンを生々しく描いたものだった。

 その夜、私は初めて夢精を経験した。

 そのときの記憶−−−とりわけそのショッキングな挿し絵は私の脳裏にまざまざと焼き付いて残り(といっても私自身、妊婦マニアや残虐趣味に走ったわけではないが)その後、奇縁をもたらすことになる。というのもその絵を書いていたのは、ひところSM雑誌でも常連の挿し絵画家だった天堂寺慎さんで、そのご本人と私自身が、初めて拘わったSM雑誌の編集者としてお会いするのである。

 人生とは……という齢でもないが、不思議なものである。

 ともあれ、こうして私の少年時代を振り返ってみると、そこにいまのSM趣味の芽を見いだすことができるといえるかもしれない。だが、かりにそうであったとしても、それは私の中ではまだ漠然として形をもたないことであった。その意味では私の場合、SMとの接点というか、入口は想念、つまりフィクションにあったということができるかもしれない。

 その時、私は『奇譚倶楽部』や『風俗奇譚』といった、現在のSM雑誌の母体となった雑誌にも接するのだが、SMの世界はまだ空想の領域でしかなかった。

 女性を初めて経験したのは、十七歳。精神的に早熟だったからといって、格別早かったわけでもないが、その当時としては遅くもなかった。

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